
「企業の四次元ポケット」と自らを名乗っていた創業期
- 舟橋由二(以下、舟橋):
- ナオトさんが経営していた有限会社のホームページを僕が作ってたってところからですよね、そもそもの始まりは。
- 岡本ナオト(以下、ナオト):
- そう。ちょうど舟橋くんもWEBデザイナーとして独立したばっかりだったよね。あの頃のデザイン、ひどかったなあ(笑)。
- 舟橋:
- ははは(笑)。でもあの時に、「一緒に何かやりたいね」って言い始めて、「315MAP」(※)のサービスを作るところからR-proをスタートさせたんだよね。あの時はまだガラケーのサイト作ってましたねえ。で、こういうサービス作るなら、ちゃんと会社にしようよ、ってなって。
(※)315MAP…主に飲食店を中心に、月額315円で店舗情報を掲載できる「食べログ」のようなサイト。

- ナオト:
- 今だったら、スタートアップのように資金調達して、その資金で運用したりできたんだろうけど、あの時は手元の資金もなしに先行営業している状態だったからね。当然続くわけもなく、あっという間に「ヤバイ、どうする?」って感じになっちゃって。まずは今できるWEB制作の仕事を取っていこう!ってなって、そうこうしているうちに315MAPはお蔵入りになったんだよね。ここからR-proが始まったっていうのに、315MAPは創業してわずか数ヶ月で消えた(笑)。
- 舟橋:
- 今はメールアドレスだけ残ってます(笑)。
- ナオト:
- そういうわけで、WEBやグラフィックを制作する会社になった。でも僕たちは「“デザイン会社です”って言うのはやめよう」って言ってたんだよね。
- 舟橋:
- 創業にあたって話していたことは「意味があるものを作る会社にしたい」ということ。例えば、クライアントが「ホームページを作りたい」って言ってきても、それが必要なければ提案をしない、ってスタンスだった。
- ナオト:
- 当時はブランディングって言っても名古屋ではなかなか理解してもらえなかった。WEB制作会社って言っちゃうと、WEBしか作らない会社だと思われちゃうし。例えば「10万円でWEB作ってください」って言われたとしても、よくよく話をしてみると、「それ7万円でチラシ作って3万円でバラまいた方が効果あるよね」って気づいたら、そう提案したかったんだよね。
- 舟橋:
- だから、あの時は「企業の四次元ポケット」ってキャッチコピーでやってましたね。
- ナオト:
- そうそう。名刺の真ん中にエンボス加工でドラえもんのポケットみたいな「ボコッ」っとしたしつらえをしてね(笑)。それが功を奏して、存在を覚えてもらえるようになって。「面白いことを考えてくれる会社なんだ」って徐々に周りから認識されるようになったんだよね。
創業当初の苦労と、「yamory」という転機
「一体何の会社だろう」と思わせるような印象は、創業当時から変わらないR-pro。それは、既存の枠組みにとらわれず、常に新しいことをやっていきたいという想いが詰まっていることの表れであることに気づく。しかし、現在に到るまでは、創業当初のサービスをすぐ畳むなど、いくつものトライアンドエラーの繰り返しだった。
- 舟橋:
- でもあの頃は、本当にお金が無くて、ランチが食べれない時とかありましたよね。
- ナオト:
- うん、ベンチャーあるあるだね。

- 舟橋:
- ナオトさん、もともとクリエイティブの領域にいなかった人だったから、最初は大変だったんじゃないのかなあ、とも思ってたんですよね、実は。一方で僕は、確かに売り上げが全然立たなかった時は大変だったけど、楽しかったなあ。あの頃からクライアントとすごく近い関係で仕事ができていたので、できたものがクライアントに喜んでもらえてる姿が間近で見れてすごく良かった。
- ナオト:
- いやいや、こっちは売り上げ立たないと本当に困ったんだよ!舟橋くんは納期ちっとも守らないし(笑)。
- 舟橋:
- それでも、R-proが解散するとかは無かったですよね。
- ナオト:
- 不仲になったことはなかった。でもよくイライラしてたよこっちは!(笑)だって、締め切り守らないしさ。自分に対してはともかく、クライアントがいる仕事だからね。舟橋くん、本当に昔っからクライアントからもこの憎まれない、悪気のないキャラクターで。そして言い訳はしないんだよね。言い訳しないけど、余裕で締め切り伸ばしてくる。
- 舟橋:
- すみません(笑)。
- ナオト:
- まあでも、あの頃は大須に事務所を構えていたけど、構えて1年もしないうちに事務所移転の危機に逢うとか、色々と面白かったね。でも、R-proとして「営業をしない」ってことを大切にしていたから、仕事は無かったんだけど飛び込み営業とかは一切しなかった。
- 舟橋:
- 事務所でゲームやってませんでした?
- ナオト:
- やってた(笑)。でも、R-proと同時1年前に大ナゴヤ大学(※)の準備室が始まって。自分の中ではR-proと大ナゴヤ大学、ブランディングとまちづくりが同時に始まった感覚がある。その結果、まちづくりに絡んで企業や行政と一緒に仕事ができるようになっていった気がしてる。当時はめちゃくちゃ忙しかったけどね、土日なんて無かったし。
(※)大ナゴヤ大学…名古屋を中心とした社会教育やまちづくりを推進するNPO法人。

- ナオト:
- それで、2013年に名古屋市から「yamory」(※)が「若者に防災を広める事業」で助成金を受け取った時にR-proが大きく動いたね。その助成金額の半分は人件費に充てる条件になっていたので、その時に初めてR-proとして人を採用した。そのうちの一人が今いるデザイナーの青木。で、その「yamory」で企画運営した「SAKAE CAMP」に、今の社員である本多と北原が実は参加していたっていう。この3人が今R-proにいるっていうのは感慨深いね。
(※)yamory…R-proの防災事業。現在は主に非常食の定期宅配サービスを運営。
- 舟橋:
- 確かにそうですね。それで、その助成金は雇用創出と同時に「コミュニティスペースを作る」ことが条件だったから、そのタイミングで今のオフィスに引っ越してきたんですよね。僕が物件探したんですけど、物件探しがめっちゃ好きで楽しかったし、ここを見つけられたのは本当に良かった。今の大家さんも面白いし。
- ナオト:
- 実は他にも候補はあったんだけど、ここはみんなが気軽に集まれる良い条件だった。舟橋くんがここを見つけてきてくれて本当に良かったと思ってる。
そういえば、あの時この決断をしなかったら今のR-proはなかったな、っていうことがあるんだよね。ちょっとアダルトな制作案件の相談がやって来た時。お金がなかったので喉から手が出るほど取りたい条件だった。でも、それってR-proの仕事として受けていいんだろうか?って引っかかった部分があって。それを舟橋くんに相談したら、「ナオトさん、それは止めたほうがいい。仕事の内容ではなく、R-proのコンセプトからブレるから」と即答だった。そこを即答するんだったらちゃんと締め切り守れよ!って思ったけど(笑)でも、結局、舟橋くんが即答してくれたから、その話は受けなかった。あの決断が今のR-proを作ったと思ってるんだよね。
- 舟橋:
- それ、初耳です。
- ナオト:
- いや、これ何回も言ってるけど(笑)。あの時、やっぱりR-proとして大切にしていることは「世の中にとって意味のあることをやる」ってことだったよな、って改めて思わせてくれた。色々な業界を否定するということではないんだけど、自分たちが持っている価値観の中で、この仕事をしたら社会が少し良くなるんじゃないかって思える仕事をしていこうっていうことは、一貫してやり続けているし、これからも変わらない。あの時は舟橋くんから良い言葉をもらったと思ってる。
R-proが変わらないこと、変わること。
いくつものチャレンジの中から「yamory」事業をきっかけに仲間が増え、仕事の幅も広がったR-pro。創業から10年の年月を経た2019年の今年、時代も環境も大きく変わる中で、R-proとしてこれからも歩んでいく道とはどんな道なのだろうか。
- 舟橋:
- 昔はクライアントワークがほとんどだったから、提案したものによってクライアントが望んでいるような価値を出して伸びてくれれば、と思ってました。今は自主事業も増えてきたけど、そっちも同じ想いでやってる。クライアント案件も自主事業も、やっぱり、一貫していることは「社会課題を解決する」ってことですね。
- ナオト:
- そういう風に言葉にして伝え始めたのは、「yamory」を始めた頃からだよね。
- 舟橋:
- そうですね。仕事の大小ではなく、「課題を解決する」という部分はずっと変わらないですよね。課題感についても、社会の課題なのか一個人の課題なのか、それはどちらでも構わない。課題を解決することを突き詰めていけば、社会が良くなっていくと思っているから。
ただ、これからのR-proのことを考えると、今やっていることの延長ではきっとダメで。R-proは、WEBで、とか、デザインで、っていうことから一歩進む。映像なのか、ローカル事業なのか、その時々の最適解を提案できるのがこの会社の強みだから、課題解決をするためのアウトプットは変わってくるかもしれない。
- ナオト:
- 特に僕たち役員二人は、アラフォーだしね。アラフォーくらいまでって、20代のイメージの延長で働いている人多いけど、体力は間違いなく落ちている。クリエイティブという部分だけでいうと、若い人にかなわなくなっている。ただ、アラフォーのおっさんたちは歴史文脈が分かるとか、経験値があるとか、いい部分もあって。そういう自分たちならではの要素を組み合わせていくことで、まだまだ感性の良い若い人たちとやりあえると思う。組み合わせという点では、もっと色んな人たちと関わって、R-proに関わってもらう必要があると思ってるんだよね。今は働き方も色々あるし、雇用という形だけでなく色んな形でR-proネットワークを作っていきたい。2018年から募集し始めたインターンもその一つだね。

- 舟橋:
- ちなみに僕が今思っているのは、創業当初と比べると今は人が増えたし、社内でコミュニケーションを取る機会が増えたから、まずは社内のコミュニケーションがもっと増えたらいいな、ってことです。
- ナオト:
- へー!初めて聞いた。でも、R-proはいい意味でタレント集団。ほとんど社内ルールはなく、自由度が高くて細かい指示はしない。「与えられるのではなく、自分で考えて結果を出してね」っていうのが自分のマネジメントスタイルだからね。
あと、今年の春から始まる那古野小学校プロジェクトが、この先10年間の仕事として決まった。R-proが当事者として場にコミットした仕事をするって、実は初めてで。場があることで広がりを持てる可能性があると思うし、すごく楽しみ。ほんと、次の10年でどうなっちゃうんだろうね、R-pro。大切にしたいことを今まで通り大切にしながら、「流れに身をまかせる」っていうか、多分これからも色んなことに取り組むと思うんだけど、どんなことに対しても、まずは「こういう流れなんだ」っていうように受け止めて、理に逆らわないように進めていきたいと思っている。自由さは失わずに、若い感性とおっさんが融合して良いものを作っていきたいね。
- 舟橋:
- どんな仕事をやることになるんですかね。まあ、「R-proらしいことができるか」っていう、フィーリングは大事にしたい。そのためには、今はまだ「ナオトさんにお願いしたい」っていう仕事が多いから、スタッフそれぞれが自立し、成長し、みんなで創る「R-proらしさ」を強みにしていきたいですね。
「R-proらしさ」。
それは、R-proに関わる一人一人が「より良い社会にしたい」という想いの下で踏み出す第一歩の集合体なのではないだろうか。
R-proが創業して10年。次の10年では、二人が重ねてきた「はじめの一歩」の先に、さらに多くの人たちの一歩が積み重なっていく。R-proはこれからも挑戦をしていかなくてはならない。多くの人の、その第一歩のために。